ソクラテスの哲学・倫理学

ポイント

  • 幸福(善く生きる)=徳=知

 

時代背景

 ソクラテスは紀元前5世紀に生きていましたが、この時代当時は、相対主義(普遍的で絶対的なものはなく、社会や個人によって善悪の基準はばらばらであるという思想)が風潮としてありました。その思想から、ソフィスト(当時の意味では、知恵ある者の意)が、弁論術と言われる、民衆を説得する能力を青年達に教えていました。青年たちは将来政治的なリーダーになるためにソフィスト達を支持していました。

 

ソクラテスの哲学・倫理学

 ソクラテスはこうした相対主義ソフィストたちに真っ向から反論していきます。なぜなら彼にとって重要なのは、弁論術のように民衆を説得し、正しいと「思われる」ことではなく、実際に善く正しい人で「あること」だからです。

ソクラテス魂の配慮(ここで言う魂とは人間を人間たらしめるもの、人格性の意)、つまり魂を善くすることを彼の中心的問題としました。そしてこれが達成されるためには、魂の善さ=が必要と考えます。さらに、この徳は(先ほどの相対主義への反論のように)普遍的なものでなければならないため、普遍的な善悪についての知識に基づいたものでなければなりません。そして、この善悪に関しての知識は特の必要十分条件となるため、ここから善く生きること=徳=知という考え方が生まれます。

 ここからソクラテスは、人間が「進んで」悪をなすことはないと考えます。なぜなら、上述の通り、善悪の知があれば徳をもっていることになり、したがって善いことをなすはずだからです。言い換えれば、不正をはたらいた場合、その人は知識がなかったため不正をはたらいたということになります。つまり、善悪についての知識をもっていながら不正をはたらく人はいないと言うのがソクラテスの考えです。

 彼は、後述のように民衆からの反感をかい、不正な裁判にかけられ死刑判決を受けますが、「悪法も法なり」と言った後、判決のとおりに毒杯を飲み亡くなります。先程も申したとおり、彼にとっての最大の問題は「善く生きること」であり、また、いかなる判決であったとしても、自身が不正を犯すのは悪だと考えたため、本来逃げられるはずだった死刑にも従うことが出来たのでしょう。「不正を犯すよりも、不正を被る方がましである」という彼の言葉通り、常に正しいことを行うことが彼の生き方であったのです。(ここから下は補足です。)

 

ソクラテス哲学史的意義

ソクラテスの時代以前の哲学と彼の哲学の最大の違いは自然と人間の関係に関連します。ソクラテス以前の哲学は、自然を対象としてこの世界の原理を説明しようと考えられていました。しかし、この段階では自然と人間ははっきり区別がつけられいませんでした。そして、最終的にはこの世界の全てのものが機械論的に把握されるに至り、人間の問題は解決されることはありませんでした。それから、ソクラテスは人間の問題を解決するために、人格性や魂の配慮の問題を打ち立てることで、全く新しい哲学を誕生させました。そこでようやく、自然と人間とがはっきり区別されるようになったのです。

 

問答法

 ソクラテスは自分の無知を自覚していました。そして彼は問題となっている事柄を対話相手とともに吟味し探求を進めていくために、問答法と呼ばれる方法を用いました。

 彼は、魂をすぐれたものにする徳について問答するなかで、初めにそれらが「何であるか」を問います。そして、それはそうとされるものに共通する普遍的なものです。つまり、徳とは何かについて対話相手がもっている信念を明確にすることから始まります。そこから彼は、関連する別の信念を取り上げ、対話相手の同意を求めます。

 そういった作業を繰り返していくと、いくつかの信念がはじめの信念とは矛盾しており、普遍的なものではなくなってしまいます(この手法をエレンコスという)。そこで、ソクラテスは対話相手にその信念を捨てるか、さらに吟味するよう促します。

 

個人的意見

 多様性が今の社会には求められており、様々な価値観や相手の特性を認めなければならないという風潮がある。差別の解消がその典型的な例であろう。実際に差別は当事者たちを追い詰め、対立構造をより明確にする点で、共生社会を築くことが不可能になるため正しい行為とはいえないだろう。しかし、差別以外にも、日常的な場面で各々の考え方に介入しないようにすることや、人それぞれであるという考え方も広がっているように見える。他方で、実際に正しいかどうかではなく、会話相手が納得できるかどうかでその意見の正当性が判断される風潮もあるように思われる。果たしてそれらは正しいのだろうか?このような相対主義的な考え方、実際の正当性は考えず相手を納得させればよいというソフィスト達の態度にソクラテスは反論していったのだろう。しかし、この普遍的・絶対的なものを求めようとする態度にはとても驚かされる。恐らく多くの人が思考を停止させる程に難しい問題に自ら挑戦していったからである。このような精神をもつことが哲学を学ぶにあたって最重要なのではないだろうか。現代では、情報の量が過去に比べて遥かに多くなっている。それが当たり前となってくると、何が正しいのか正しくないのか、分からなくなったり今まで出会ったことのない全く新しい意見に出会ったりして、戸惑うことも多くなる。しかし、その中でも普遍的で不変な真理を探す意義は十分にあると考える。少なくとも自分は相対主義ではないし、周りのご機嫌取りをするつもりもないし、思考を停止させたところで状況はなにも変わらない。そして、仮に真理が見つからなかったとしても、ソクラテスのようにそれを探求する姿勢によって真理に近づくことはできると考えるからだ。

初めての方へ_ブログ紹介

はじめまして!Hanaです。

私のブログがどんなものなのか、初めに紹介しておきたいので書かせてもらいます!

 

  1. 内容:哲学・倫理学の解説を発信していこうと思っています!法学や認知科学等、別の学問や普段疑問に思っていること、自分なりの考えなども発信していきたいです!
  2. 対象:学ぶことが好きな方や哲学や倫理学に興味があるけれど難しそうで勉強をした事がない方、知的好奇心が旺盛な方など、とにかく哲学・倫理学に少しでも興味をもたれている方が楽しく読めるように書いていく予定です!また、勉強をしたことがある方でも基礎知識の確認に使えるよう、体系的に書かれた記事も発信するつもりです!
  3. 目的:1番の目的は、どうしてもハードルが高いと思われがちな哲学や倫理学を、1人でも多くの方に楽しんでもらえるようになることです。可能であれば、色んな方と議論をしたり勉強会も開いてみたいですね。

 

ここまで読んでくださりありがとうございました!少しでも興味を持ってくれたら幸いです!